アートスペース油亀では、
また、この展覧会の会期はこの夏、香川県の直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、高松港周辺、岡山県の犬島を会場に、開催される瀬戸内国際芸術祭のオープニング期間にもあたります。 瀬戸内国際芸術祭2010 (Setouchi International Art Festival 2010)2009年、夏。
山口敏郎は築130年の古民家、油亀で展覧会を開催した。
展覧会は「胎内=油亀」。
その名が示すとおり、油亀という建物を生物の胎内にみたてた。
壮大なインスタレーション。
油亀で一つの種が発生し、種が自己増殖をくりかえしながら成長する姿を描いた。
来場者はまるで胎内の中を旅するような錯覚さえ覚えた。
2010年、夏。
山口敏郎が再び油亀に帰ってくる。
生命への躍動。作品に傾ける情熱。この一年の軌跡が油亀に集結する。
岡山県瀬戸内市邑久町出身の画家山口敏郎。 彼は23歳のときに画材の材料研究のためスペインに渡り、 夏の太陽を思わせる、山口敏郎の色づかい。 幾年にもわたり絵一枚ずつに絵の具を重ね続ける彼の作品は、 手に取らなくてもひとつひとつの重量感が伝わってきます。 そんな山口敏郎作品が築130年の古民家「油亀」の土間・庭・ 岡山の今までにない圧倒的なボリュームの展覧会。 本展覧会では山口敏郎の最新作を含む平面・立体・オブジェ約250点を建物全体に組み合わせた、インスタレーション作品を発表します。
「その日、油亀は『記憶の森』になる。」 記憶の森の中で、我々は新たな事実に遭遇するだろう。 影が光を求めることを。 影が光を証明することを。 多くの人間は、自分が絵を見ていると思っている。 しかし、記憶の森となった油亀では それを疑うことになるだろう。 我々が絵を見ているのではない。 絵が我々を見ている。 そう思いはじめた時、あなたは山口敏郎の術中にかかっているのだ。
■アーティストプロフィール 山口 敏郎 Toshiro Yamaguchi ■作家山口敏郎のコメント
西洋では、中世、
影は光を求める。 というより影は光の存在を証明する。その影が強 巨大な影に照射された光こそが「感性」であり、
バロックに入りベラスケスと同時代に生きたデカルトは「我思う、 これまで誰も経験 したことのない「無」 感性という光を頼りに。 しかしその光はそ れ以降はてしなく増大、誇張、
それでは、「油亀」においてこの光=感性によって刻み込まれる「 前回の展覧会「体内=油亀」で油亀は胎内であり、 それ自体が独立した自己生殖体でその自己再生によって油亀が永遠 しかしここで問題なのは、いかに「油亀」が精子と卵子とを同時に
「油亀」 感性によって今が経験されそれが記憶となっていくならば、 記憶によって我々は生きていることを確認することが出来る。 「油亀」は坪庭を通して降り注がれる記憶によって生き続ける。 生きているから記憶を持つのではなく、
このように「油亀」
西洋の神の御加護 の元での世界観というものが額縁に入った寸分の それはまさに絵巻物であり、 「油亀」を通して浮かび上がってくる記憶とはとりもなおさず「 その記憶は薄い皮膜のように何層にも堆積していく。 油亀が覆われている甲羅こそがそれらの記憶が堆積し、 こうして我々は油亀の中で種々の自分の記憶に出会う。 種々な記憶は我々の現在と往還し、 つまり種々の自分の過去の時間と今との往還を重ねながら我々は時 油亀の建物の中に入るとき、 現在我々はテクノロジーの野放図な発達によりとどまることを知ら 油亀に流れる時間とはこの加速度的な時間からの脱出である。
また「美」が精神的なものを感性化、
今回の展示では、
これらは全て私の思い違いあるいは「妄想」かもしれない、 ユングに言わせると、「個人的な神話は健康で建設的な適応規制」 その行為が芸術の場でなされるとき、現実をより正確に、 |
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■News リビングおかやまに掲載されます。 山陽新聞に掲載されます。
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Copyright2008 アートスペース油亀