２００９年、夏。

山口敏郎は築１３０年の古民家、油亀で展覧会を開催した。

展覧会は「胎内＝油亀」。

その名が示すとおり、油亀という建物を生物の胎内にみたてた。

壮大なインスタレーション。

油亀で一つの種が発生し、種が自己増殖をくりかえしながら成長する姿を描いた。

来場者はまるで胎内の中を旅するような錯覚さえ覚えた。

 

２０１０年、夏。

山口敏郎が再び油亀に帰ってくる。

生命への躍動。作品に傾ける情熱。この一年の軌跡が油亀に集結する。

 

 

 

以降約３０年間ヨーロッパを中心にギャラリーやアートフェアでの発表と国際的な芸術活動を行っている作家です。

夏の太陽を思わせる、山口敏郎の色づかい。
幾年にもわたり絵一枚ずつに絵の具を重ね続ける彼の作品は、まるで地中から掘り起こされた地層のよう。
手に取らなくてもひとつひとつの重量感が伝わってきます。

 

そんな山口敏郎作品が築130年の古民家「油亀」の土間・庭・ブリキ張りの油の貯蔵庫・廊下・茶室など建 物全体をインスタレーション（空間装飾）、古民家の構造や歴史、差し込む陽の光までが、彼の作品表現となります。

 

岡山の今までにない圧倒的なボリュームの展覧会。

本展覧会では山口敏郎の最新作を含む平面・立体・オブジェ約２５０点を建物全体に組み合わせた、インスタレーション作品を発表します。

■作家山口敏郎のコメント 

 西洋では、中世、ゴシック期までは神という形而上の存在のもとで世界は完全無比な秩序が保たれ、永遠不滅な「精神」という影が支配していた。

 

影は光を求める。 というより影は光の存在を証明する。その影が強いほどそれ によって作られる光は強い。ゴチックに続くルネサンスで初めて人間という自覚が生まれ、一回性の｢感性」の芽生えを見る。この感性によって人は今を経験する。

巨大な影に照射された光こそが「感性」であり、とりもなおさず生であり時の肯定である。　（ただしこの時期ではまだ精神と感性がバランスよく共存して いた時期であるが。）

 

バロックに入りベラスケスと同時代に生きたデカルトは「我思う、ゆえに我あり」によって神と決別し、初めて完全に人間が「個」として感じ、考えていく ことを宣言する。

これまで誰も経験 したことのない「無」の空間に人間は投げ出されるのだ。　

感性という光を頼りに。

しかしその光はそ れ以降はてしなく増大、誇張、浪費されて現代まで続いて行き、テクノロジーの発達によりますます人と人、人と物との直接の 接触が減り、そこから生じるランダムで生な経験＝光が無くなってきているのだが。

 

それでは、「油亀」においてこの光＝感性によって刻み込まれる「経験」とは何を意味するのか？

前回の展覧会「体内=油亀」で油亀は胎内であり、　それ自体が独立した自己生殖体でその自己再生によって油亀が永遠の時間を持つことが検証された。

しかしここで問題なのは、いかに「油亀」が精子と卵子とを同時に有していようともそれに生命を与える要因が無ければ生命体とはなり えないということだ。

 

「油亀」は 坪庭の持つ開かれた空間を通して外部の情報を取り込むことにより、全人類の記憶を全てアーカイブしていることも前回検証した。

感性によって今が経験されそれが記憶となっていくならば、記憶は生きていることの自覚である。

記憶によって我々は生きていることを確認することが出来る。

「油亀」は坪庭を通して降り注がれる記憶によって生き続ける。

生きているから記憶を持つのではなく、記憶があるから生きているのだ。

 

このように「油亀」の永遠の時間とは西洋の神によって保証されたようなものではなく、記憶によって生命が与えられ自己生殖を続けていくことによって得られたものである。

 

西洋の神の御加護 の元での世界観というものが額縁に入った寸分のすきも無く仕上げられた絵だとすると、「油亀」が映し出す世界は終わりなく繋がってい く絵巻物であろうか。

それはまさに絵巻物であり、そこで我々はあたかも光の差し込まない奥深い「記憶の森」にさまよい込んでただ茫然と立ちすくのである。

「油亀」を通して浮かび上がってくる記憶とはとりもなおさず「油亀」の記憶であり我々の記憶でもある。

その記憶は薄い皮膜のように何層にも堆積していく。

油亀が覆われている甲羅こそがそれらの記憶が堆積し、凝固したものである。

こうして我々は油亀の中で種々の自分の記憶に出会う。　

種々な記憶は我々の現在と往還し、我々は過去へワープしているめくるめく感覚にとらわれる。

つまり種々の自分の過去の時間と今との往還を重ねながら我々は時間の存在を感じ始めるのだ。

油亀の建物の中に入るとき、我々がそこにゆったりとした時間が流れているのを感じるのはそのためだ。

現在我々はテクノロジーの野放図な発達によりとどまることを知らない加速度的時間の中で生活することを余儀なくされ、その時間の存在すら気付かないのが現状であろう。

油亀に流れる時間とはこの加速度的な時間からの脱出である。

 

また「美」が精神的なものを感性化、つまり今という時を肯定するものであるとすれば、この油亀の中でゆったりとした時間が感じられる、というのもやはりそこに「美」になりつつある過程が存在していることの証であろう。

 

今回の展示では、記憶を塗りこめるように幾層もの絵の具を重ねることによって出来た作品群であたかも記憶の堆積としての甲羅の中にいるように、油亀を埋め尽くしていく。

 

これらは全て私の思い違いあるいは「妄想」かもしれない、いやむしろ「妄想」であって良い。

ユングに言わせると、「個人的な神話は健康で建設的な適応規制」なのであり、「神話＝妄想」と現実を調和させることに価値がある。

その行為が芸術の場でなされるとき、現実をより正確に、深く掴み取ることが出来、さらに未来を見通すことに繋がると信じる。